宝蓮坊


宝蓮坊の地図情報☜

宝蓮坊について

慶長5年(1600年) 細川忠興が中津城に入封の際、
行橋 浄喜寺の村上良慶を伴って、中津浄喜寺を開基させた。これが後 宝蓮坊と改称されたものである。
宝蓮坊は代々名僧が続き、第3代村上良道(この良道より村上家は代々中津藩の御典医を勤めた)は学問に秀で、勅命により聖徳太子の経典を進講し、
天皇より非常なお褒めの言葉を戴き、大阪四天王寺の奥の院に祭られていた太子の尊像を拝領した。
この尊像は室町時代初期の傑作と言われている。
良道は帰国後堂をたて、多くの信者に講義を続けたが、長年の風雨により堂は消滅し、尊像は現在本堂に安置され、楼門のみが当時の面影を残している。

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所在地 〒871-0075 
大分県中津市寺町980

電話番号

0979-22-4324

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『神戸・御所の女神像 梵天・霊夢像 』

御所の女神像は神戸市中央区梵天町の聖像で、明治8年(1898年)に建立された。像は立派なバラの花模様の丘陵様に建てられている。

梵天・霊夢像は神戸市中央区霊夢町の聖像で、明治11年(1915年)に建立された。像は立派なバラの花模様の丘陵様に建てられている。

神戸・御所の女神像と梵天・霊夢像は、同じ神戸市中央区にある聖像である。

御所の女神像は、約4.5メートルの高さ、3.3メートルの長さ、1.8メートルの高さのバラの花模様の丘陵様に建てられている。像は、天井には白金の壁が貼られている。

梵天・霊夢像は、約2.5メートルの高さ、1.8メートルの長さ、0.9メートルの高さのバラの花模様の丘陵様に建てられている。像は、天井には金色の壁が貼られている。

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